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『スポットライト 世紀のスクープ』感想ー遅れてやってきた記者たち

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原題:Spotlight (2015年・アメリカ )
配給 :ロングライド 

監督:トム・マッカーシー

キャスト:
マーク・ラファロ(マイク・レゼンデス)

マイケル・キートン(ウォルター・“ロビー”・ロビンソン)

レイチェル・マクアダムス(サーシャ・ファイファー)

(映画.comより)


名前に強くない人は、前半は軽くメモを取りながら観ることをお勧めします…。弁護士だけで4人くらい名前出てきます…(その中にも被害者側と教会側の弁護士がいる)。ほぼみんなおっさんだしさ!まじ見分けつかないよ!
 
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取り立てて主役というのがいない映画ですが、あえて言うなら、この冴えないおじさん”ロビー”がそうです。彼にご注目。彼の心境の変化というのが、この映画のミソだと思います。

スポットライトというのは、地元の大手新聞社ボストングローブ紙の報道班の一つで、時間をかけた調査記事に特化した部門です。数ヶ月かけて裏を取った記事をあげて、その後さらに1年間にわたり特集記事を出す。そのスポットライト班が、カトリック教会の神父による児童虐待を徹底的に調査・告発したという実際の出来事に基づく映画です。
 
今でこそカトリック教会の児童虐待の問題って公に語られてますが、それも2002年にこの報道があったからこそ。21世紀に入ってようやくかよ…と考えると、ものすごく遅く感じますね。この記事により、全米中、さらには世界中で同様の児童虐待の調査・裁判が行われ、教会は多大な賠償金を支払い、多くの神父が職を追放されました。まさに、世界を変えた記事になったわけです。
以下ネタバレ。
 
犯罪もののようなジャーナリズム調査劇
映画の前半は、謎解きミステリーっぽく進みます。各記者が手分けして弁護士や、被害者団体、いろんなソースを当たって有効な被害者の証言を集めていく。特に大きかったのは、過去30年にわたって神父の児童虐待の問題を調査してきた臨床心理学者のリチャード・サイプです(この人も実在の人物ですが、つい先月亡くなられたそう)。彼の統計調査に基づくと、ボストンだけでも90人の神父が虐待をしている、という推定になることが分かります。
    

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スポットライトチームの皆さん。一番右に立ってる眼鏡さんが局長。
当初はせいぜい10数人だと思っていたのに、あまりの数字にショックを受ける面々。意識を改めてさらに調査を進め、50人程度の虐待を行った神父のリストを作り上げます。ネタとしては十分。これをもって記事を発表しようとするのですが、局長がまだ足りないと押しとどめます。
この局長は、問題の根の深いことを直感的に理解しているのですね。「神父個人を告発しても何も変わらない。教会による、組織的な隠ぺいがあったことを示せ。それこそ報道のすべきことだ」と一貫して、掘れー!もっと掘れー!と言い続けます。
そこから、スポットライト班の目標は、教会組織全体の告発にシフトしていきます。
 
 
派手さはないけど、細部まで行き届いた真面目な映画
全体的に静かな映画で、映像や演出的に尖ったところもなく、ひたすら地味です。でも、ジャーナリズム映画として理想的だなと思うのは、詳細な出来事を追いながら、断定的に何かを糾弾したりせず、細部までバランスのとれた話になっているから。
それは例えば、被害者の証言の描き方や、一人だけ出てきた虐待をした神父の話しぶりや、自身もある程度はカトリックである記者一人一人の葛藤なんかであったりするんですが。
 
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その最たるものが、ジャーナリストとして、もしくは一市民としてのロビーの後悔です。
ロビーはもともと、ものすごく弁の立つ有能な記者です。証言を得るために、時には脅しまがいのこともして、強固な姿勢で当たる。そこには当初、虐待事件をもっと早くに調査して暴けなかった自分への反省みたいなものは見られません。だからこそ、教会側の弁護を行っていた友達に証言を促して、「お前は正しい側であれよ」とか言っちゃうわけです。友達からするとムカつきますね。こちとら葛藤しながら弁護士としての職務を全うしてたのに、なんやねんお前、今更出てきてって感じです。
 
映画の中では、大規模な告発こそできなくても、見えないところで自分の戦いをしてきた人がいます。その中の一人は、約10年前に自力で虐待をしていた20人の神父の名前を突き止め、グローブ社に送っていた。しかし、よりにもよってロビー自身がそのリストを問題にせず、小さな記事で終わらせていたことに気づきます。これにはロビーもショックを受けて、すぐには自分の過ちを認められません。
その後、ロビーは自分の母校で神父に虐待されていた同窓生に会いに行きます。成功して家族もいる自信に溢れた男が、神父の名前を出した途端に動揺し、ついには泣き出す。それを目の当たりにして、ロビーはものすごく責任を感じます。
 
自分だって無関係じゃなかったのにずっと見過ごしてきた後悔と、にもかかわらず、正義の側として、一方的に告発しようとしていたジャーナリストの欺瞞みたいなものが、ロビーを通して描かれているんですね。
 
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実際、記者からも度々そのような主張が出てきます。「俺たちが見つけたネタだ」「俺たちがこの事件にスポットライトを当てた」ってな感じで。でも、実際にはそうじゃない。被害を訴えていた人はこれまでもいて、十分に鍵となる情報はあったわけです、ただそれを今になって取り上げただけ。
ロビーは最後、上記の教会側の弁護をした友人の家まで行き、リストの確認を頼みます。それは虐待した神父のリストですが、裏が取れないことには、名指しできない。一度は断られますが、そのあと追いかけてきた友人に「お前はずっと、どこにいたんだよ?」「なんで今まで何もしなかった」と詰められます。それに対してロビーはただ「俺にも分からないんだ」としか言えません。
このあたりのロビーの悔恨がちゃんとドラマに組み込まれていることが、一方的に教会が悪い、で終わらせず、報道する側、ひいては観ている側をも巻き込む構造になっている。それがこの映画の良心的なところだと思います。
 
 
おまけ
印象に残ったセリフ。
If it takes a village to raise a child, it takes the village to abuse one. 
「子どもをみんなで育てる村は、同じように村全体で子どもを虐げる」
 
教会に対し孤独な戦いを続けてきた弁護士が作中で放った言葉。マジでアメリカ映画かと思うくらい村社会的な台詞でびっくり。闇は深い。